おぼろげプルーフ 10
2024/10/31
この冬、筋膜リリースと冷水シャワーで乗り切れる感じがする。
そろそろ寒くなってきて、肩こり激しくなって自律神経乱れて、心が荒んで声が出なくなる時期なんだけど、ワンチャン乗り切れる。
冷水シャワーも大分冷たくなってきているけど全然余裕で浴びれているし、身体が固まっている感じもしない。
以前より首こり、肩こりがわかるようになっているし、どこらへんがこっているのかも大体わかっていて、ほぐし方も多少知っているので、去年とは違う。今年はかなり態勢が整っている。
これで無事に喉が万全の状態で越冬できるのであれば、ほんとに強い。
毎年の悩みが解消されるかもしれない。
冬は怖いが、わくわくする。
2024/10/30
いろいろと問題が解決した。
泣いた子はさらにうまくなっていた。みんな調子がよかったし、主役の子はいい流れを掴んでいる様子で、風通しのいい稽古だった。
追い風が吹いている。この勢いを殺さないまま進んでいけるといいな。
2024/10/29
ごろごろした。明日の稽古のことを脳内に浮かばせては霧散させてを繰り返す。
演出用の台本も少し書き進めたが、実際に見ないとわからない部分もあるので、諦める。
本を少し読んだ。江國香織の本をまた買ったので、少しだけ。
2024/10/28
二日連続、行きつけの定食屋に行った。昔からやっているからなのか、メニューのバリエーションがとにかく豊富で、お肉系や丼物はもちろん、魚の定食など、最近では珍しいラインナップのものが壁の端から端まで貼られている。
僕がいつも座っている席の近くには、魚の定食メニューがずらーっと並んでおり、前々から気にはなっていた。
しかし、メニューを見開いて肉と魚があれば、肉の方しか選ばないので、外食で魚を食べる機会など、漁港近くの飲食店で海鮮丼などを頼むぐらいしかなかった。
ふと、あの店のあじフライを食べてみたいな、と、昨夜寝る前に思ったのだ。とはいえ、あじフライ、というものに対していい思い出はない。
おそらく初めて食べたあじフライはスーパーの惣菜だったような気がする。衣はガチガチしていて、中身は薄く嫌な苦みが鼻を抜けていく。子供のころはあまり魚を好きでなかったので、なおさらあじフライに対しての嫌悪感みたいなのは大きかった気がする。
しかし、なぜだかあの店のあじフライなら食べられるかもしれない、と思ったのだ。
ただ、二日連続で外食をするのは、あまりに贅沢すぎる。
先日タブレットや筋膜リリースガンなどを買った手前、節約をしておきたい気持もあるのだが、今日でないとあじフライを頼もう、という気持は出でこない気がして、朝、悩みに悩んで、なぜか年末に備えた中掃除を始めていた。
年末、といえば大掃除!というテンションで張りきる人たちもいるが、僕はそういった恒例行事的なものにあまり関心がないので、できるだけ計画的に、少しずーつ年末までにきれいにしておく。
今日は散らかっていた防音材などを段ボールにひとまとめにしたり、家具を動かして掃除機をかけたりした。
今年もとくになにか増えたものがあるわけでもないので、散らかり度合いを年始の状態に戻すぐらいのことだけをやって、また来年、同じような感じになっているのだろうな、と思いながら、段ボールを壊したり、ゴミを捨てたりした。
さて、掃除も一段落して、あじフライをどうするかと、また悩み、今度はギターの基礎練を始める。
こうしたときに自然と別の行動に移行できるのは日課のおかげかもしれない。
一時間ほど最近サボっていた基礎練をみっちりこなして、思ったより衰えていなかったことに安心して、ちょうどお昼どき。
あじフライのことを考えていたら、なんだかんだで充実した午前中を過ごせたので、これはご褒美に、とあじフライを食べにいくことに決めたのだった。
ほこりがついていないか気にしつつ、軽く身だしなみを整え、窓の外を見ると、灰色の分厚い雲、それに冷たい風が吹いていて、雨が降りそうな気がしたので、出掛けにビニール傘を持っていく。
2,3分歩いて、スマホで予報を確認したら降水確率は0%で、数分後には晴れる、とのこと。
こちらは野生の勘で、ビニ傘を持ってきたのに、どうやら白昼堂々恥を晒すことになるみたいだった。
お店に着いて、いつもの席に座ると、寒い。
この店はいつも窓も入口も全部開けっ放し。昨日はあたたかかったから、全然気づかなかったけど、いやもう秋だし、なんでこんなに開放的なんだ、と思った。
しかし、この頃冷水シャワーを毎朝浴びている僕からすれば涼しい程度、冷えた麦茶をグラスに注いで、まずは喉を潤す。
でも流石に寒かった。
お昼時、といっても少し遅れた時間帯で、おばあちゃんは完全に下準備のスイッチが入っているっぽかった。
別にランチタイムに行ったところで、だいたい客は僕か老人一人いるぐらいなので、相変わらずの落ち着く場所である。
おばあちゃんは少し耳が遠いので、最初に気づいてもらうために、いつも、こんにちは、と声をかける。
それから、少し間を置いて、あじフライ定食で、と言うけれど、だいたいいつも一回目は聞き取ってもらえないので、ちょっとだけゆっくりはっきり、あじフライ、と言う。
もしかすると、珍しい注文だったのかもしれない。いつも注文されてから丁寧に作るので、出来上がるまでにそれなりに時間がかかるが、今日はいままでで一番長かった。
テーブルにリモコンを置かれて、みたいチャンネル合ったら自由に変えてね、と言われて、それが初めてのことだったので、ちょっと嬉しかった。
適当につけたニュース番組では、アンドロイドの万博?かなにかが取り上げられていて、それを見て、複雑な気持になりながら、結局人間は寂しいから、アンドロイドやAIを人間に近づかせようとしているんじゃないか?という先入観がこびりついて離れなかった。
それから数分して、遅くなってごめんね、とおばあちゃんがおぼんを台車にのせて運んでくる。
テーブルの前にとまった台車からぼくがそれを取ると、決まって、あらごめんね、と言う。
いただきます、と言って割り箸を割って、味噌汁を混ぜる。今日の味噌汁は少し濃い目だった。
それからあじフライを食べたのだけど、これが革命的な旨さで、完全に僕があじフライに対して抱いていた誤解というかわだかまりが全部解かれた。
咀嚼した瞬間に脊髄でうまいとわかる。なんか脳内物質がドバドバ出るうまさだった。
これはあじフライに対しての期待値の低さを圧倒的に上回った驚きと、単純な旨さで感動して泣きそうになった。
この頃、昼飯を食べるのが面倒で抜いたり、パン一つで済ませたりしていたのだけど、今日はもうたくさん食べざるを得なかった。ごはんも味噌汁もおかわりして、いっぱいたべてね、と言われた。
ただ腹を満たすだけでは得られない満足感に浸りながら、テーブルに置いてあるポットからあったかいお茶を注いで、ゆっくり過ごした。
それから手を洗って、おぼんを持っていく。
ごちそうさまです、と言いながら厨房を覗くと、ポテサラの下ごしらえ中で、全然こっちに気づいていなかった。
2秒後ぐらいに気づいて、あ、すみませんね、と言いながら、指に付いていたポテサラをつまみ食いして、レジに移動する。
お金を払って、おつりをもらうときに、いつもありがとね、と言われて嬉しかったけど、いつもっていつまで続くんだろう、と思う自分もいた。
2024/10/27
新しいタブレットの使い道に悩んでいたのだけど、やはりテキスト入力時の処理の重さなどがないので、フリーライティングやテキストファイル作成をメインに使うという形で落ち着いてきている。
旧タブレットは娯楽用風呂用として継続して使う形で、作業時などのレイアウトの確認やタイマーなどを設定して、サポートとして使っていくのが今のところいい感じ。
今日はフリーライティングをやる前に、トピックを書き出して、それを旧タブで表示しながら、新タブで本文を書いていた。
新タブのスペックを考えれば、画面分割でトピックを表示しながらフリーライティングをすることは造作もないのだが、せっかくの大画面を窮屈にするのはもったいない気がしたので、旧タブの方でポモドーロとトピックを分割表示して行った。
画面分割は案外メモリを食うので、表示されているタイマーが動いていなかったりしたが、ちゃんと時間通りに通知は来ていたので問題なし。ようやっと棲み分けができたような気がする。
しかし、今のモチベーション的にはそこまで頻繁にフリーライティングをするわけでもないので、もう少しなにか作業的なものを増やしてもいいのかもしれない、とも思う。
が、それならばノートPCで最初からやってしまったほうが、と思ったり。
実際今の新旧タブの使い方など、デュアルモニター的な使い方なのでPCでもいいのだ。
本当に謎のこだわりで、タンスの上でタイピングをするほうが集中できるためタブレットを重宝しているが、もともとはPCで日記を書いていたわけだから、そっちに戻ればこのタブレットたちの役割などほぼほぼないのである。
お風呂やキッチンで、映画やアニメ、料理動画を見れるのはタブレットならではの利点ではあるものの、本当にそれ以外ではそこまで必要とするシーンはPCがある限り回ってくることは少ない。
現状こいつらに役目があるのは、僕がPC前だとなぜか集中ができないという謎のデバフに寄るものだ。
その原因もなんとなくわかってはいるが、それを明らかにしてもいいことがないので、今はこの贅沢な2タブレット環境に甘えておく。
行きつけの定食屋で生姜焼きを食べた。美味しかった。
あそこのいいところは、生卵と納豆がついてくるところだ。この2つを食べると、いっきに食の健康偏差値があがる感じがする。
最近、新しい人と仲良くなっている?気がする。
相手から好かれているな、と思う。でもそれが早い。人間ってそんなに簡単に相手に好意を抱くのか、といつも疑ってしまう。
僕は人を好きになるまでに、まず自分の中の警戒心がなくなる過程を踏まないといけないので、好意に対して似たようなラリーを返すこともあるが、そのラリーを円滑に楽しむためという理由で行われていることが多い。
コミュニケーションを試合かなにかと思っている節があり、その中でより面白いラリーをする、ということが自分にとって重要だったりする。
こうしたら面白いだろう、盛り上がるだろう、というのを感覚的にとらえて、その答え合わせをするという目的が、コミュニケーションの中に含まれていたり、
また、自分の耐久度を知るために、無理に人と関わっているような節もある。
僕自身が、人間らしくなるために、自分を実験台にして負荷をかけたり、失敗をさせたりしている。もちろん相手にも迷惑をかける。
そういう関わり方が、自分の中で当たり前になってきている気がする。
試合は繰り返しているとやはりパターンが刻まれてくる。相手の打ち返す球筋が見えてくると作業的になりやすい。
それならば下手くそででたらめなラリーに振り回される方が案外面白かったりする。
他人に対しての関心が日に日に薄れている自覚があるので、少々心配にはなるが、これはこれで楽なのでな。
季節の移ろい、空模様だったり、なにかの香りでふと誰かを思い出す、みたいなこともない。そういう人の記憶も薄れていっている。
同時に誰かが、ふとしたときに僕を思い出すなんてことを信じていない。
僕の世界にあなたがいないのだから、あなたの世界にも僕はいないだろう、と思っている。
今日は日曜を久しぶりに堪能した。
日曜の昼下がりは毛布みたいな安心する重みがある。
近所の一軒家のお父さんと娘二人が、家の前で遊んでいて挨拶された。
最近は画面を見ることが憂鬱だったりしている。余計な刺激が脳に入ってくるのがわかる。
脳のキャッシュがクリアできればなぁ。
2024/10/26
なにもしないが増えている。
こたつに入って鍋を食べた。あ、ちゃんと秋だ。温かみが恋しい。
2024/10/25
たくさん弾き語りをした。
発声の話を人に聞いてもらったりしたんだけど、結構面白かったらしい。でも発声について話し始めると時間が溶けるので、ほどほどにしよう。
三ヶ月くらい発声を教えている人がいて、かなり熱心に取り組んでいるみたいなんだけど、いかんせん実技が伴ってこない。
知識は結構、浸透してきている感じがあるけど、耳が育ってないのと、発声の感覚をいまいち掴めていない。
うーん、提示したトレーニングをこなしてくれればうまくいくと思ったんだが、なかなか。
2024/10/24
なぜか、ふと地元の有名風俗店の店名が浮かんできたので検索してみたら、新人嬢に教え子らしい子がいた。
休みがちの子だが、最近復帰して少しイメチェンしていた。
目元が印象的で、髪を伸ばしておりウェーブがかっている。メイクの印象も少し変えていたのだが、下の方に赤い線を引いているのは変わっていない。
散財癖があるのを本人から聞いたことがあって、一体どのように稼いでいるのだろう、と思うぐらいの額をポンポン口に出すので、もしその写真がその子本人なのだとすると納得がいく。
写真の子は手で鼻と口を隠しているのだけど、目元があまりにも一致しているし、背丈も詳しくは知らないが、それぐらいの数値が書かれている。
そもそもこういう店には行ったことがないし、なぜふいに検索したのか知らないが、これを見つけたのは何かの運命だろうか。
彼女は諸々の事情があるので身体を酷使できないのだが、もし、このような店で働いているのだとしたら、報告しなければならない気がする。
しかし本人かどうか確証がないので、なんとも言えない。確認しにいく、というのは憚られるし。
風俗のサイトには、日記というものがあるのだけど、その内容がまた重なる部分があり、これはバイアスだと思う反面、現実味が増してきていてなんとも言えない。
風俗で働いていること自体は問題ではないと思うのだが、彼女の心身の事情を聞く限り適切ではないはずなのだ。
しかし、センシティブすぎる。
仮に本人だとして、それがバレてしまった、ということでメンタルを崩す可能性はもちろんあるし、上がどう対応するのかわからない。
知らないふりをしておくのが最善のような気もするのだが……。
じゃあなんでこんなタイミングで知ることになるのだろう。気のせいでは済ませられない。
もう一度写真を見て、他人の空似かもしれない、と思うが、輪郭が違う確証がとれないのでわからない。
2024/10/23
声優になった知り合いの女の子がCDリリースしたらしく、偶然Xでジャケット画像が回ってきたのだが、なかなか太っててちょっと笑ってしまった。
過去に芝居を教わった人づてで、あいつ調子乗ってるんだよね〜、と聞かされることもあったので、未だに調子乗った結果がこれなのだな、と思うと相変わらずで安心する。
声優がらみで弟子のことも思い出したので、調べてみたがSNSをやっていないので見つかりづらい。
舞台やアニメにちょくちょく出演しているらしい。
東京に行くのはめんどいけどいつか見に行ってもいいな。
今日は台本の稽古。
女の子が悔しくて泣いてしまった。
そんなに早くから必死になれて羨ましい、と思ったし、尊敬する。
帰り道、僕も悔しくて泣きそうになった。
絶対できるはずだし、この台本で殻が割れるはずだと信じているから、もどかしい。
けれど、じっと待つ。
この役はきっと彼女にしか出来ないから。
今日はかなり白熱した。
みんな上達しているからこそ、もっと上へ行きたい気持ちが高まって、結構話し込んだ。
おかげで頭が痛い。
大した実力はないが、演出や監督を今は任されているのでやっているが、自分はどうなのだろう、とふと不安になる。
舞台に出ないか?と声をかけられたので曖昧な返事で濁した。
オーディションは受けなくていい、と言われたが、受けるべきだと思う。
2024/10/22
おばさんの話し相手を小一時間ぐらいやって体力を奪われる。時間を潰せる、というメリットはあるが、一人でぼーっとしている方が有意義だと感じる。
古いタブレットの方でNotionを使ってみたら、新しいのと動揺に一文字目が勝手に無変換で入力されるので、アプリ側のバグ?それともGボードに問題があるのだろうか、あとで調べてみよう。
今は古い方のタブレットを持ち出してタイピングしている。曇り空の日はあまり新しい方を持ち出したくない。本末転倒では?
持ち運び専用のケース的なものを用意したほうがいいな。
数日、漫画からの寝落ちが多いので、少々寝不足である。昨日はメガネをつけたまま寝落ちして、今朝は足元など気にせずトイレに向かって、布団に戻りメガネがないこと気づいてあせる。
こういうときは大体布団の中か、枕の近くや寝転がった際の手元に転がっている。
適当に布団の中でワイパーのように手を動かして、見つからなければ掛け布団をよける。
普段置く場所などもチェックしたが見つからず、おそるおそる床を歩きながら、結局自分が寝ているときの手元の位置にたたんで置いてあった。
一安心して、今朝も漫画を読み耽っていた。
Notionの一文字目が変換できない問題を調べたら、どうやら3年前ぐらいからあるらしい、なぜにいまさら?
それとも今まで僕は気づかずに使っていたのだろうか。
9月ももう終わるなぁ、などと友人が口にしていたのを思い出していたら、10月も終わりである。あっという間だ。
今年ももう終わるな、という気分でそろそろ過ごしていこうと思う。
2024/10/21
新しいタブレットが届いたのだが、なぜかNotionでの文字入力に不具合が起こるので、他のメモアプリを使わざるをえなくなっている。
とはいえ動作は快適で使い心地は悪くないので、買ってよかった、と思う。もうタブレット云々で頭を抱えることはないだろう。
おいおい、Notionの方の問題が解決できたら、完全にそちらに統合しようか、とも考えつつ、この頃グーグルドキュメントの利便性がちょうどよく、正直そっちでもいい気がしている。
安定して動かせるタブレットが手に入り、選択肢が増えたので嬉しい悩みが増えている。
今もタイピングしていて全く遅延を感じないので、今後はタブレットにキーボードを接続して、日記を書くことが増えそうだ。
ほんとうはフリーライティングをしたいのだが、どのような形でやっていくかがまだ定まっていない。
画面分割で左側にトピック、右側に本文みたいな感じで書きたいと思っているのだけど、分割だと文字の大きさが変わったりしてトピックの文字が極小になったりする。
一つのアプリでそういった表示ができるものがあると理想的なのだけどな。
12インチの画面シンプルに快適すぎるな。なんというか安心感がすごい。
アンドロイドのジェスチャーにまだ慣れていないので、少々誤操作が多いが、これはなれるとかなりよさそうだ。
2024/10/20
わりと難産で結局でてこなかったので置いとく。記録を残しとくのは大事。
2024/10/19
12インチタブレットを注文した。
ここ数ヶ月タブレットを買おうか定期的に悩み続けていて脳が軋み始めているので、流石に買ったほうがいいだろう。
カートに入れては削除を繰り返し、今のタブレットでも問題ない、とおもちゃ同然のfirehdを酷使しているわけだが、今朝Amazonを開いたらめちゃくちゃ重かったので、やはり買い替え時なのだ。
そう言い聞かせなければ購入に踏み込めない。
12インチタブレットは25,000円で、スペックはそれなりで画質は良さそう。
firehdだってまだまだ動けてはいるのだけど、もう2年も使っている。
まだ使える、まだ使えるよ!かわいそうだよと言ってくる。
うー、ごめん。そして僕も財布が辛いのだ。
いや、でもfirehdはお風呂とか、漫画とか、河原とかで使う、はず。
いやマジでほんとに新しいタブレット必要なのか?現状で満足できないか?
でもこの買い物で失敗しても、成功しても自分を満たせるはずなので無駄ではない。
最近夜中にコード進行とか、ジングルっぽいのを考えたりしている。
https://scrapbox.io/files/6713debfa6f611bc216dccef.mp3
今日は夏っぽいのをイメージして作ったよ。
作ってすぐなので拙いけど、雰囲気はいいでしょ。
2024/10/18
昨日LINEグループて話して、流れで深夜スプラやって、それから朝まで語り明かした。
今日はその一人と会ったので、楽しかったね!といったら、俺のスプラ史上の中でもかなり楽しかった部類です。と言われた。
たしかに6連勝ぐらいして、圧勝だったので夜中なのに興奮しまくってた。
スプラは通常ストレスが溜まりまくるゲームなので、そのストレスから解放されると羽がはえたも同然である。
武器編成も良かったので安定して勝ち続けることができて楽しかった。
夜中にコード進行を考えたくなって、ちまちま作っていた。
僕のやり方は気分で一個音を鳴らして、そこからひたすら付近の弦を押さえては鳴らしを繰り返し気持ちいい和音を見つける、という子どもでもできる手法である。
ひたすら気持ちよさを軸に作っているので、とにかく僕にとっては気持ちのいいものになる。
自分のための味付けなのでそりゃ美味いに決まってる。
おいしい料理が作れた、という事実だけで満足感がやばい。
作曲について、楽器始めたての人間に訊かれたので、C Dm Em F G Amを並べ替えてひたすら遊べ、と言ったのだが、やれ自分にはセンスがないだの、コードが押さえられないだの、くだらない言い訳ばかりするので、勝手に縛られて挫折するくらいなら、楽しく感覚的に出来る工夫をしろ、と言った(実演もした)。
やる気ないならやめちまえよ、という気にもなるが、せっかく買った楽器が弾かれなくなるのは嫌だし、ナンセンス自虐オナニーのおかずにされるのは不憫すぎる。
プロでもなんでもない、知識もないくせに、一丁前に計画とか目標とか立てるなんて馬鹿げてる。
気楽に続ければいいのに、なんで自分の首を絞める?
もう、やめたいだけだろ。自殺未遂に巻き込むな。
2024/10/17
後輩達とスプラをやるためにLINEグループを作った。言ってみるもんやね。
2024/10/16
台本上で必要になるであろうSEなどをAIに書き起こしてくれ、と頼んだら普通に当たっていて、すげー!となった。
なるほどこういうふうに使えばいいのねー。
今後いろいろと使い方を模索してもいい。
水曜日はほぼ一日中、外で活動しているので流石に疲労を感じる。
こうなるとランニングはやった方がいい気がするのだが、それによりストレスや悩みが解消されてしまうと、心もとなくなる。
多少不便な方が住心地が良いのだ。
今日は台本の稽古。
ほぼ自分で書いただけあって指導しやすい。
全て自分の責任になるのも楽だ。
指導中、結構熱くなって強めの発言をしたけど、熱意が伝わったようで、以前より彼らから信頼の色が見える気がする。
日頃、何を教えるべきか悩んでいたが、台本を書くことで彼らの強みを再確認できたし、それをどのように発展させていくかも見えてきた気がする。
この稽古期間中で彼らの自信と技術を育てていきたいと改めて思う。
ぼくも精進せねば。
以前、性欲は自分の創作において必要みたいなことを書いたのを思い出して、ランニングがそれと関係していることに気づいた。
ランニングをすると性欲が減退する。
おそらく一日の余った体力の正しい行き場ができてしまって満足してしまう、の方が正確かもしれない。
ここ最近、ランニングをしなくなって、ゴロゴロしたり、漫画を読んだり、youtubeを見たり、自堕落な生活に勤しんでいるのだが、直感的に何か思いつく瞬間は、ランニングをしていないときの方が多い。
いや、でも短歌が出てこないときはランニングをすると出やすいのだよな。
ランニング分の体力と時間が余っていて、それがインプットに使われているから、の方が合っているかも。
短歌は、外から受ける刺激でで始めることが多いからランニングと相性がいいのだろう。
2024/10/15
半日ぐらい弾き語りをしていた気がする。たくさん歌って現状把握。声がパワフルになってきている反面、繊細さがなくなってきたような感じ。がさつ、というか、ぶっきらぼう、というか。
パソコンの設定を少し変えてみたら、動作が軽くなったような気がする。ブラウザをChromeに戻せばもっと軽くなりそうだけどね。
台本を一応書き終えたので、気が緩んだのか反動でなにも考えられなくなっている。
アマゾンのタイムセールが近いので、ほしいものリストをちまちま作っているが、どうせ買わないと思う。
ただ、気分で買うかもしれないので、もしそうなったときのためにちゃんと欲しいと思っているものを迷わないために。きっと必要だろう。
5日ぶりくらいにスプラをやったけど、対して腕は落ちていなかった。ただ、前に出る意識とかAIMとかの、最近定着しかけていた意識は鈍っていた。勝率は良かったが、勝利に貢献した実感はない。
2024/10/14
今月黒毛和牛でも買ってみようかな、とふと思ったが、美味しく調理できるのか?
刺し身いっぱい買って寿司作るとかでもいい。
外食がだるいので、自力でうまいものを作れるようになりたい。
耳からうどん出しながら、空に喋る人も見慣れてきたが、昔からしたらほぼテレパシーのようなものだよなぁ、と思う。
2024/10/13
作業室で語らう。言葉で殴ることに躊躇はないが、痛覚を忘れて殴っている自分を確認すると、少々よくないことをしているな、という気分。
ここ最近、人間との語らいが多い。昨日もよくしゃべったし、今日もよくしゃべった。その内容について、他人に教えるつもりはない。その人とだけのひそひそ話のようなものだし。
僕はおそらく、この人にしか話せない、ということがたくさんある。逆にそれがない人には興味がない。
ネットリテラシーが激強、というより、自己開示をすること自体に抵抗があるので、話題がある相手、というだけで自分の中でプレミアがつく。
短歌の話するのもなかなかおもしろいね。
2024/10/12
今日も一日楽しかった。
台本を書いて、一段落し、興奮冷めやらぬままにツイッターのスペースを開いてひたすら喋った。
フォロワーが一人来て、関係なくここ最近の出来事を話し続けて、いなくなって、それから40分ほど話して、約1時間半話した。
自分は義務感に駆られるのがいやで、人と関わるときなんらかの義務を自分に課していて、それによってストレスが溜まるのだと言うことに気づき始めた。
そして嫌なのはストレスが溜まることであって、人と関わることではないのだとも思う。
ただ、相対的に一人で居る時間の方が退屈が目立たず気楽であり、そちらの優先順位が高いから、人と関わることを忌避している
2024/10/10
一日中ごろごろして、二時間ぐらいギターを弾いて、漫画読んで、ゲームして、怠惰を満喫した。
日課とか、そういう縛りはどんどん緩んできているが、それもまた悪いことではないのだ、と言い聞かせる。
気まぐれで大石昌良の楽園都市を練習し始めたのだけど、弾きすぎて水ぶくれができた。
2024/10/09
一時間早めに寝て、予定より一時間早く起きた。先週と睡眠時間は同じになってしまった。
しかし早起きは三文の得。時間に余裕があるだけで、生活のテンポ感が全然違う。
朝はゆったり過ごしたい、なんて言うが、近頃の僕にはそんな気持はなく、むしろ夜にぷかぷか浮かんでいたい、みたいな感じだった。
しかし朝をゆったり過ごしてみると、それはそれでいいもので、窓の外から聴こえる雨の音を聞きながら、出かけるのがめんどうくさい、と思いながらも、それでも届けたい手紙のようなものを僕は持っていかないといけない。
でなければ胸の鼓動が収まらない。
少し早めに出てしまおうか、そうすればきっと写真を撮るために立ち止まっても、遅刻にはならない。
そういえば今朝日記を書いていたのだった。
今日は長かった。今はひたすら眠いが、風呂に入って、布団に入ったら目が覚めるんだろうな。
次の展開がなかなか降ってこなくてつらい。
でも、明日には降ってくるかもしれない。
2024/10/08
それなりに捗った。瞑想でもして、早めに寝よう。
2024/10/07
聴かせたい人がいないから、曲を作れないのだと気づいた。
才能のなさを露呈する恐怖よりきっとそっちだ。
だって台本なんて書いたこと、ほとんどないのに、あの人たちのために書かなきゃ、と今夢中でワープロソフトと向き合っている。
いつもそうだ、伝えたい気持が勝つんだ。
2024/10/06
今日は一日中雨が降っていて眠かった。
https://www.youtube.com/watch?v=O0Ylv6GNWMQ&pp=ygURdGFtZS1saWUtb25lLXN0ZXA%3D
しばらくこの曲ばかり聴きそうな気がする。
学マスでの推しは篠澤広なのだけど、紫雲清夏のこの曲と彼女のストーリーは泣ける。
ふと、またシナリオが読みたくなってyoutubeでまとめを見て泣いていた。
アプリリリース前の連日の楽曲投稿では、Fighting My Wayに度肝を抜かれたし、Luna say maybeでは散々泣かされたが、今間違いなく泣ける曲はこの曲。
序盤の信号組の楽曲とキャラが印象的すぎて、他のキャラに注目していなかったのだが、プレイしていくうちに他のキャラにどんどん魅かれていくのは、アイマスをやっててままあること。
初めは、手毬だったけど、広だったり、千奈だったり、ことねだったり、とにかく誘惑が多いのだが、彼女たちに対する気持ちは尊敬に近い。
清夏は少し違う。共感とか応援したい気持ちが強い。
見守りたい、という気持ちが推す、ということなのだろうか。
今作はこれからアイドルになろうとしている子達の成長にフォーカスをあてて描いているから、彼女たちの成長というのをより身近に感じられる。
清夏のストーリーは、諦めきれない夢ともう一度向き合う、という内容で、それがこの楽曲によく描かれている。
歌唱力という点で、手毬が頭一つ抜けていて、彼女に注目が集まっているが、普通に他の子達も、歴代アイマスで見ればかなりいい勝負ができるほどに上手い。
Tame-Lie-One-Stepはダンサブルな楽曲で、その躍動感が歌に乗っている。
Bメロで伴奏が落ち着いて、歌に細かいビブラートなどが入るのだが、こういうのが案外むずかしい。
ラスサビ終わりにフェイクもあり、テクニカルなことをやっている。
学マスは今ライブを3グループに分かれて公演していて、今月から清夏たちのグループの番。
このグループに広も居るのでそちらも聴きたいが、この歌を振り付きで聴けたら絶対に泣く気がする。
絶対に見たい。
2024/10/05
日課をやっていないな、と思いながら、一日を楽しむ背徳感。
半日弾き語りをして、台本のことをしまんさんと考えたりして、面白い一日になった。
一日を無駄にしないために最低限の何かをやらなければ、と日課を決めているけれど、今日が充実していれば、やったかやってないか、などささいなことだ。
無理にこなそうとして、こなせなかった、と後悔する必要もない。むしろ、こなせたらすごい!ぐらいでいい。
ようやっと割り切れるようになってきて、ゆったり風呂に浸かりながら、余計なものを洗い落とした。
喉が大分治ったが。地声の中高音で癖を引きずっている。発音するのに少し躊躇する。ほんの少し前に戻った気分だ。
気長にうまくなっていけばいい。この不調期間の間できるようになったことだってあるのだから。
2024/10/04
友人との関係が切れた。主に僕の問題で。
罪悪感に胸を痛めながらも、自分の心の故郷は寂しさにあるのだということ自覚する。
しばらく作業などに没頭すれば痛みも忘れ、関係がまた一つ切れたことで楽になった、と思う自分もいる。
自身の自己肯定感の低さに僕は日頃親しみを持っているが、人間絡みになるとめんどくさくなる。
人が人と関わるのに大した理由などない。少なからず僕には、大した理由を持って関わる人間などいない。
それをわかっているのに、関係が続くと、自分の価値や関わる意味とかメリットを考え始める。
自分に価値などない、と思っている人間が、自分と関わる価値について考え始めれば出る結論などくだらない。意味がない、ということに尽きる。
人と関わる度、この症状が毎回顔を出す。そうして似たような末路を辿る。
むしろそういった経歴を作っているまである。
価値がない、と強く言い聞かせるために人を犠牲にしている。
そうして一人になることに安堵している自分がいる。どうしようもない。
近頃タブレットやPCをスペックの問題で買い替えるかどうかを悩むことに興じていたのだけど、冷静に考えて、使用するソフトやアプリを軽いものにすればいいだけだということに気づいた。
日記もメモアプリで書けば、タブレット上で動作がもたつくこともない。
最近書くことを見られているという意識がノイズになってきている。
以前はここに書くことで、誰かが楽しみにしてくれることや笑ってくれることを喜んでいたのだけど、最近はそういう気持が薄れている。
エンターテイナーにはもうなれないのかもしれない。朗読の読み方だって、以前の読み方をやるのは精神的に疲れるときがある。
誰かのためになにかをする、とか費やす、尽くす、とかそういうもの全部うっとうしくなってしまって、ケチになっていく自分は落ちぶれていて貧しい。
これは反動だ。僕は以前無理をしてでも他人にばかり費やしていた。それは確かにストレスだった。極端すぎたから、逆方向にまた極端になっている。落ち着いて真ん中に戻るのを待つしか今の僕に出来ることはない。
2024/10/03
めちゃくちゃ眠いせいで、スプラで大敗した。
2024/10/02
日課しなくてもコンディション変わんなくねぇか?と思うけど、一日二日サボったぐらいじゃ変わらないのか?そう捉えていいのか?
2024/10/01
喉の調子が治った。長かった。河原で無理やり歌いまくったのが効いたのだと思う。結局いつも力技でなおしている。